容齋隨筆_卷五國初人至誠譯文
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查閱典籍:《容齋隨筆》——「容齋隨筆·卷五國初人至誠」原文
真宗時,謀求并州將帥的人選,真宗對輔政大臣說:“象張齊賢、溫仲舒都可以勝任此職,只是因為他們曾經在樞密院供職,有時會堅決推辭,應該把二人召至中書省詢問二下,如果他們愿意前往就授予官職。”等到把二人召至中書省,張齊賢以恐怕被別入進讒言來推辭。溫仲舒說:“不敢有推辭之言,只是我在尚書之位已經十年了,如果改任我為執政大臣,賜給都部署之職,增添體祿,敢不聽命嗎?”輔政大臣把他們的話傳達給皇上,皇上說:“這是不打算前往任職,不要勉強他們。”王元之自翰林學士以本官刑部郎中知黃州,派遣他的兒子嘉祐到中書門下獻書,認為:“朝廷設官,是進是退必按照禮節,一但失當,錯誤派官,罪責在于朝廷決策大臣。我一任翰林學士,三任制誥舍人,按照本朝的慣例來說,或者得給事中,或者侍郎,或者為諫議大夫。唯獨我不一樣,離開官位后沒有轉升一級,和管理錢谷的俗吏,混然沒有差別,執政大臣不說,別人將怎么信服?”我認為溫仲舒曾經為二府大員,至于自己要求升遷及增加體祿;王元之乃是一代剛正名臣,至于公開獻書,援引石例,請求升級。是由于只有他們的至誠,從不掩飾虛偽啊!后來的人表面大言不慚,避寵辭祿,而暗中孜孜以求,失去真誠的人太多了,風俗使然啊! 真宗時,并州謀帥,上謂輔臣曰:“如張齊賢、溫仲舒皆可任,但以其嘗歷樞近,或有固辭,宜召至中書詢問,愿往則授之。”及召二人至,齊賢辭以恐為人所讒。仲舒曰:“非敢有辭,但在尚書班已十年,若得改官端揆,賜都部署添給,敢不承命?”輔臣以聞,上曰:“是皆不欲往也,勿強之。”王元之自翰林學士以本官刑部郎中知黃州,遣其子嘉祐獻書于中書門下,以為:“朝廷設官,進退必以禮,一失錯置,咎在廊廟。某一任翰林學士,三任制誥舍人,以國朝舊事言之,或得給事中,或得侍郎,或為諫議大夫。某獨異于斯,斥去不轉一級,與錢谷俗吏,混然無別,執政不言,人將安仰?”予謂仲舒嘗為二府,至于自求遷轉及增請給;元之一代剛正名臣,至于公移箋書,引例乞轉。唯其至誠不矯偽故也。后之人外為大言,避寵辭祿,而陰有營求,失其本真者多矣,風俗使然也。
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