容齋隨筆_卷六邾文公楚昭王譯文
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查閱典籍:《容齋隨筆》——「容齋隨筆·卷六邾文公楚昭王」原文
郭國的國君郭文公要史官占卜,把國都從郭(今山東曲阜東南南限村)遷到繹(今山東鄒縣末南紀王城)吉兇如何?史官答說:“有利于老百姓,可是對國君卻不利。”郭文公聽后說:“國君的使命就在于讓老百姓得到好處,我個人壽命的長短,就聽天由命吧!只要對老百姓有利,遷了就是最大的吉祥。”于是遷到了繹,不久,郭文公就死了。有德行的人都說郭文公是“了解天命”。 楚昭王末年,有塊云彩像一群紅色的鳥模樣,圍繞太陽接連飛了三天.于是周朝的太史說:“紅云擋住了太陽就擋住了國王的身體,與國君不利。應當舉行祭典,禱告上天,就可把災難降到令尹和司馬的身上。”楚昭王說:“把心里和腹腔中的疾病移到四肢上能有什么益處呢?假如我沒有大的過錯,上天何必讓我早死?如果我有了罪應當受到懲罰,又何必移給另人?”所以不去舉行祭典。對子這件事.孔子評價說:‘楚昭王是知道大道理的,他是不應該失去國家的。” 考究一下此中的道理,當年宋景公連續發表過幾次國君應當發表的英明言詞,結果那些企圖去迷惑他的小人都不得不退避三舍。可是鄭文公、楚昭王說的話是同樣性質的,竟沒有得到一點好處。天理不可猜測竟然到這種地步。 邾文公卜遷于繹,史曰:“利于民而不利于君。”邾子曰:“命在養民,死之短長,時也。民敬利矣,遷也吉莫如之。”遂遷于繹,未幾而卒。君子曰:“知命。”楚昭王之季年,有云如眾赤鳥,夾日以飛三日。周太史曰:“其當王身乎?若玦之,可移于令尹、司馬。”王曰:’除腹心之疾而置諸股肱,何益?不縠不有大過,天其夭諸?有罪受罰,又焉移之?”遂弗禜。孔子曰:“楚昭王知大道矣,其不失國也宜哉!”按宋景公出人君之言三,熒惑為之退舍;邾文、楚昭之言,亦是物也,而終不蒙福,天道遠而不可知如此。
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